PROJECT LIFE LAND SHIBUYA
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隈研吾が代官山に返す、人とストリートが
交じり合う“集合住宅カルチャー”とは?

隈研吾|建築家

2023.08.15

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2023年10月に新しく開業予定の複合施設「Forestgate Daikanyama(フォレストゲート代官山)」。代官山駅の目の前、かつメインストリートである八幡通りと代官山通りに面する立地に、賃貸住宅をメインにシェアオフィス・商業施設で構成され、新時代の代官山を象徴する新たな顔となることが期待されている。 洗練されたプレミアムな街としての印象がある代官山だが、20世紀にかけての日本の集合住宅の歴史を語る上で欠かせない名建築「同潤会アパート」「ヒルサイドテラス」など、暮らしとストリートが隣り合う文化の先端をいく街としても知られている。「Forestgate Daikanyama」はそんな代官山に新たな歴史を刻む、令和の時代を反映した集合住宅だ。 本物件の設計を手掛けた建築家・隈研吾氏に、代官山の地形とストリートが織りなす魅力、そして現代に“お返し”するために設計したという、「Forestgate Daikanyama」の未来について話を聞いた。

やっと関わることができた─集合住宅の聖地・代官山

─「Forestgate Daikanyama(フォレストゲート代官山)」は駅の正面に位置しながら職・住・遊の機能をあわせ持つ、これからの代官山の“街の顔”とも言える施設だと思います。隈さんにとって、これまでの代官山とはどんな印象の街ですか?

隈 研吾|1954年生。東京大学大学院建築学専攻修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。

隈 研吾 氏(以下 隈) :代官山は学生時代から遊び場のひとつだったので、とても思い入れがあります。昭和の「同潤会アパート」があった頃は中の食堂や銭湯によく出入りしていましたし、取り壊された後もその跡地をどう活かしていくべきか? という設計課題に学校で取り組んでいたので辺りをよく歩き周っていました。

また、「代官山東急アパート」というクラシックな昭和の雰囲気を漂わせた集合住宅がかつてあったのですが、それも再開発で閉鎖してしまって。どうなるんだろうな、と気になっていたところに、東急不動産さんから今回のお声がけをいただいた。ああ、やっと自分が代官山の街に関わることができるようになったんだなと、感慨深く思ったのがこのプロジェクトの第一印象でした。

あと、ヒルサイドテラスに入っていた「TOM'S SANDWICH (トムス・サンドイッチ)」という店もお気に入りで、店長さんと仲良くさせてもらっていましたね。

─時代を牽引した集合住宅カルチャーがある一方で、代官山というエリア自体が持つ特徴や面白さとはなんでしょうか?

隈:渋谷との遠からず近からずの距離感がもたらす「地形」と、ヒューマンな「ストリート性」ではないでしょうか。渋谷はその名の通り谷になっていて、代官山に向かうと徐々に上がっていき、一方で中目黒や恵比寿へは下りになっていく。立体的で、複雑な地形が展開されています。同潤会アパートがあった頃はその地形が肌で感じられるような街並みだったし、ヒルサイドテラスを設計された槇文彦さんはまさにその代官山の起伏を活かした建築に取り組まれていました。

─ヒルサイドテラスはフロアやスロープを代官山の起伏と同期させるようにつくられていますよね。約30年かけて拡張されたという点も、まさに代官山の街とともに歴史を重ねた施設だと思います。

隈:街の通りと人の生活空間がゆるやかにつながる、いわば江戸時代のような「ヒューマンなストリート」を槇さんは近代建築の手法で表現されていました。それが確かな代官山の魅力として、日本中にアピールされた時代がありました。ただ、その後にできた効率的なビルの数々が、代官山の本来持つ「地形」と「ストリート性」の魅力を減退させてしまった。

それらをもう一度代官山に取り戻したい。今の時代の集合住宅をつくるのであれば、かつてあった文化をお返ししたい。そんな思いでこの「Forestgate Daikanyama」には取り組みました。それは、代官山駅を出て人々が敷地の中を自然に通りながら代官山通り・八幡通りに抜けていける、暮らしとストリートが隣り合うような施設の造りにも表現されています。

「Forestgate Daikanyama(フォレストゲート代官山)」の完成予想図。MAIN棟に位置する賃貸住宅は全57戸、1LDK~3LDK・メゾネットまでの多様なライフスタイルに合わせた住戸を用意。隈研吾氏・グリーンディレクターの齊藤太一氏、フードエッセイストの平野紗季子の3名のパートナーが居住者のこだわりや価値観を支え拡げる「ライフスタイル提案住戸」を企画している。
代官山駅至近かつ八幡通り・代官山通りに面するフラッグシップ性のある立地。賃貸住宅・シェアオフィス・商業施設が入るMAIN棟とサステナブルな生活体験を提供するTENOHA棟の2棟からなる。誰もが気軽に参加できるマルシェやイベント・ワークショップなどを通じて、サステナブルを発信するハードとソフト両面の拠点となることを目指している。

心地よい隙間がつくる、人間の“巣”のような木箱

─隈さんは以前から、密に効率性を重視する高層ビルのような「集中の時代」から、中と外の境が曖昧になる「分散の時代」へ建築や暮らしは移行していくべきと提唱されていました。

この「Forestgate Daikanyama」も複数の木箱を組み合わせたような見た目が特徴的ですが、このようなデザインにはコロナ禍という時代背景も影響しているのでしょうか。

隈:代官山の面白さというのは、住むところ・働くところの、どちらか一方に包含されすぎないところ。先ほどの地形や集合住宅の話もそうですが、いくつかの偶然が重なりながら普通の定義には当てはまらないライフスタイルが代官山では展開されていた。それは20世紀には特別なものでしたが、結果としてそれが現在の分散を重んじるライフスタイルを予告していたような形となった。コロナを経たこの2023年にこの施設が完成するというのは、巡り合わせとしては絶妙なタイミングな気がしますね。

─住居と外界の心地よいバランスや距離感というのは、2023年の現代人が最もビビットな感覚を持っていそうです。

隈:「Forestgate Daikanyama」では、小さな箱の集合体をもってして大きなボリュームをいかに分散させるかということに挑戦しています。オフィスビルでもないしマンションでもない、僕らが目指したのは、一種の「巣」のようなもの。人間を一つの生物として捉えて、人間の原型を突き詰めていった時に、温かさを持ったヒューマンスケールの象徴として木箱のようなデザインに至りました。代官山のみならず、日本の集合住宅の歴史にこれまでなかった新しい表情が見せられたのではないかという気がしています。

─代官山のストリートと繋がるような建物のデザイン見た時に、シームレスであることが一つのテーマなのかなと感じました。それは仕事と暮らしの距離であったり、所有と共有のいい意味での曖昧さであったり、駅と住居の近さであったり。

隈:シームレスは一つのキーワードではありますが、それは単に「境がない」ということを指すのではありません。その境の間にあるPause(ポーズ)、いわば「隙間」を僕たちがつくる建築はすごく大事にしています。「Forestgate Daikanyama」においても、テクスチャーとして木をベタで貼り付けるのではなく、木の箱同士が隙間を持ち、リズムをとって配置されることで一つの建築として成り立っている。この「隙間」という感覚が、今の時代における気持ちよさにも通ずる部分なのかなと思っています。

─隈さんは建築に用いる素材に対して、コンクリートと木をハイブリッドで使うなど時々でコントロールをされているイメージがありますが、今回はどのようにセレクトされましたか?

隈:自然素材の柔らかさと持続的なメンテナンス性を両立させるために、今回は木の質感を再現したアルミニウムを使用しています。かつての同潤会アパートも、コンクリートでありながらその表面は土っぽい質感があって、硬質なんだけど柔らかさが残る独特な表現がされていた。それを踏まえて、今回僕らは木の質感を用いてコンクリートを優しく、柔らかくするというデザインに挑戦しました。

TENOHA棟からMAIN棟をのぞむ、完成予想図。

街に新鮮な驚きを与えるための都市開発

─代官山から少し視点を広げて、これから開発が加速していく広域渋谷圏(渋谷駅を中心とした半径2.5km圏内)に対して、隈さんが思うことや期待することはありますか?

隈:東急不動産のようなデベロッパー企業がエリア一帯の街づくりに深く携わっているというのは、世界的に見ても珍しい事例だと思います。代官山駅と渋谷駅の間は歩こうと思えば歩けるし、私鉄が通っていて電車移動もできる。そして渋谷一帯は地形の表情が豊かで、都心のターミナルでありながら明治神宮の森など緑を感じられるスポットも多くある不思議な場所。この規模感のエリアに対して、企業が面で都市開発しているというのはユニークです。

デベロッパーや私鉄が都市開発を担うならば、そのネットワーク性の強みを活かして大きいものと小さいもの、長期的なものと短期的なものを根っこでつなげていくような仕組みを渋谷につくってくれると楽しくなりそうだなと想像しますね。

─昨今、「都市開発」「再開発」というワードを聞くだけでアレルギーを感じてしまうも人も少なくないと思うのですが、新しい街づくりをポジティブなものとして世に届けるために必要なピースとはなんでしょうか?

隈:都市開発というのは、単に真新しい建物をつくることではなく、その土地に新鮮な驚きを与え続けることだと思っています。それは気づきの亀裂をその土地に入れるようなこと。その土地の深層にあった古い時間が見つかったり、本来あった自然が僕らに突きつけられたり。そういう驚きを人々に与えるものでないと、単にボリュームを大きく見せるだけの都市開発では世の中の視線はいよいよ厳しいものになっていくでしょうね。

─隈さんの事務所では、街のシンボルを担うような巨大建築から、吉祥寺の焼き鳥家てっちゃんハモニカ横丁 三鷹など、歴史の文脈を汲みながらアップデートするような事例にも取り組まれています。建築が街に与える影響というのは、つくる上でどのように意識されていますか?

隈:サイズの大きいか小さいかは、さほど重要ではない気がします。その建築が都市に対する「切れ味の鋭さ」をいかに持っているかではないでしょうか。小さい建築でも切れ味が鋭ければ都市に介入することはあり得るし、大きいだけで退屈になってしまうものもある。そして小さいものでできることも限られているし、大きいものでできることも限られている。僕らはその両端を日々の仕事で行き来しながらレンジを広げ続けていて、その経験が刺激的な場所づくりにつながると考えています。

─この「Forestgate Daikanyama」は、どのような感度を持っている人々に訪れてほしい、注目してほしいと考えていますか?

隈:今の代官山はある意味で高級な、ハイアドレスな街になっていますが、クローズドではなく「開かれたハイアドレス」というのを成立できないだろうかと考えています。具体的にいうと、学校や学生を巻き込んでいけると面白いんじゃないかと。

─渋谷区にはキャンパスも多いですよね。まさに学生時代に隈さんが代官山を出入りされていたように?

隈:例えば、ヒルサイドテラスの作者の槙さんが発案して、今は僕が引き継いで開催している「SDレビュー」という建築のコンペティションがあります。実際に建てることを前提とした作品のドローイングと模型を発表するというイベントなのですが、それが若手のクリエイターたちが繋がる接点としても機能している。

「Forestgate Daikanyama」にも、そういう若者たちの“創る現場”を用意できると面白そうです。それは単純にアートの展覧会を開きましょうという類のことではなく、クリエイティブが生まれる場所を代官山に維持していくということ。代官山が買い物をするだけの街ではなく、クリエイションの街として若い人たちが訪れてくれると嬉しいですね。

ForestgateDaikanyama(フォレストゲート代官山) レジデンス公式HP
https://www.forestgate-daikanyama.jp/residence/
隈研吾建築都市設計事務所 公式HP
https://kkaa.co.jp/

Photo:Takahiro Motonami/Text:Shingo Matsuoka

PERSON

1954年生。東京大学大学院建築学専攻修了。1990年隈研吾建築都市設計事務所設立。東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、(日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他)、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築をめざし、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。